overtone 平田卓也のクラシックギター芸術
平田卓也のクラシックギター芸術
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芸術論
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なぜ・・・?の原因は楽器か奏者か
感性の窓〜聴覚と視覚
私自身の日記
新たなるプロローグ
私自身の日記

 人は日々修練を重ねる中で曲がりなりにも何がしかのことを自然に会得するものです。私のような凡人でもしかりです。
 「会得」とは、文章や言葉から理解するものとは本質を異にするものです。頭では分かっていても意識の命ずるままに身体が実行できなくてはなりません。ここに述べているのは、あくまでも私自身の日記です。


美について

 美には色々な美があると思う。剛美、壮美、耽美、愴美・・・・などなど。
 やはり優美が最高か。


魅力とは

 魅力的なものとそうでないもの。感じるのは一瞬、その差は紙一重。しかし、その差さは埋めようもなく大きな隔たりであることを知りおくべし。


二つのものの共有

 演奏する上で常に二つのものを共有すること。一つは情動、もう一つは規律。どちらもお互いを律することが出来るように。共通して言えるのは宇宙における陰と陽。芸術の本質と考える。音もまたしかり。


演奏

 音楽を征服しようなどと高慢なことを考えてはいけない。ひたすら音にひざまずき額ずくこと。音は扉を開き自らの姿を現してくれる。


真の芸術

 時が経過し世代が変わっても人が評価し愛し続けてくれるもの。旬のものであってはならない。普遍性こそ最も大切な要素。


芸術における自己表現

 やればやるだけ芸術から遠ざかるもの。それは身勝手な自己主張。即ち自我を出すこと。自らをコントロール出来てこそ初めて自分を出せるもの。決して出すことばかりを先に考えてはならない。そして科学、つまり論理性が不可欠。天才は別として、感情だけではどうにもならないことだけは確かである。


芸術に対する姿勢

 常に謙虚であること。謙虚さを失ったとき現れるもの、それは自我。謙虚さは自我に飲み込まれやすいもの。要注意である。


芸術における真実の探求

限りなく自然に近づくこと。真実とは即ち自然。


芸術作品

 偉大な芸術に漂うもの。それは品格と一抹の悲哀性


上達の近道

 芸術を求める中で避け続けるもの、それは自分の短所の直視。自分の短所ばかりを見つめていくのは誰しもいやなもの。しかし最終的な修練は自分の短所との対峙。長所は生まれながらに備わっているもの。ほうっておいても伸びてくる。しかし、短所を直すのは至難の業。ならば、コントロールする術さえ会得すればよい。長所ばかりを伸ばしてもだめである。バランスこそもっとも大切な要素。


才能

 よく使われる言葉である。「自分は才能がないから出来ない」と。これは、努力に努力を重ね、やり尽した人が言う言葉。始めから何もしないで軽々しく言う言葉ではない。「自分はそういったことはやりません」と言った方が正しいかも。
 才能に必要なもの。それは枯れることのない継続性。


凡人

 ラジオで聞いた話だが、ある先生が凡人の定義とは何かを話しておられた。
 「凡人とは、祖先から受け継ぎ自分の中に備わっている他人よりも優れた資質を一生見つけられなかった人のことである」と。全く同感である。


人生の価値観

 人生は本当に一度しかない。当たり前のことではあるが、そのことを毎日真剣に考えること。さすれば自分は何をすべきか答は自ずから出て来るであろう。
 自分を信じ、自分の中に存在する可能性をひたすら追及すること。満足して人生を終えるために。


喜び

 他人から与えられるものよりも自らの創造こそ最高の喜び。喜びは楽しみよりも奥深いもの。人にも与えてあげられるもの。

 ・・・50歳半ばを過ぎ、ようやく開眼したのは片方の目と耳だけです。両目両耳の開眼は死ぬまで努力してみなければ分からないでしょう。

 これからも、より深く、より広く、より明るく、より楽しく、感性と論理の更なる結実を目指し、秒速のチャレンジにいとまない人生を歩みたいと願っています。

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