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平田卓也のクラシックギター芸術
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なぜ・・・?の原因は楽器か奏者か
感性の窓〜聴覚と視覚
私自身の日記
新たなるプロローグ
なぜ・・・?の原因は楽器か奏者か

負の要因

  これまで一般に名器といわれている色々なクラシックギターに触れ、又、見てきました。

 <奏したことのあるクラシックギター>
ホセ・ラミレス、ホセ・ヤコピ、中出輝明、エドガー・メンヒ、ヘルマン・ハウザー1世・2世、マルセロ・バルベロ(名手が録音に使用したもの)、ホセ・オリベ、スモールマンなど。

 <演奏会などで聴いたことのあるクラシックギター>
ロベルト・ブーシェ、イグナシオ・フレタ、アグアド、アルカンヘル、マリン、など。

 結論を先に述べますと、どの楽器も特色ある音色を保っていますが和音になると途端に暗く重い響きへと変わってしまいます。
 特に3弦と4弦でこの傾向が顕著に現れます。言葉で言うならば、音程は合っているのにお互いの音が背を向け合っているといった感じなのです。要するに抱き合わないのです。
 そのためか奏者は情熱的に演奏しているにもかかわらず、聴き手にはなんとなく冷たく侘しい響きに聞こえてしまうのです。それは、幸せを感じない音と言った方がいいかもしれません。

 こうした現象は、ギター協奏曲、四重奏など他楽器との共演においても聴くことが出来ます。
 耳を澄ませていればよく解りますが、ギターだけ別なところで鳴っているように感じるのです。具体的に言いますと他の楽器より音のテンションが低く和声的な一体感を感じないのです。
 そのようなことは考えたこともないといわれる方も一度関心を持って聴いてみてください。名手と言われる人の演奏を聴いてみても殆どここに陥っているのです。
 ピアノやヴァイオリン、チェロなどの名手に比べると音楽のスケールも小さく貧困さを感じないわけにはまいりません。

 実は、ここがこれから述べるところの最も重要なポイントになるのです。
 往々にしてギターファンはギターに寛大です。ギター音楽を好意的に聴くでしょう。しかし一般の音楽ファンはギターも他の楽器と同等に聴いています。無意識の中に冷たく侘しい響きを感じているかもしれません。ギター音楽はギター愛好家はもとより幅広い音楽ファンにも愛されなければならないのですから。

本当にギターを愛するならば深き淵を見なければ真実は見えてこないでしょう。演奏者を始めとするギター愛好家たちに気付いて欲しいのはまずここからが出発点であること。既存の名器の名前に惑わされないこと。音楽そのものから愛すること。さもなければ真実を知らないまま多くの時間と労力を無駄にすることにもなりかねません。


クラシックギターの特質

 構造的にも65センチ前後の弦長を有し、しかも弦は6本。どんな和音でも豊かに調和し音が凹まないギターなど常識では考えられないのです。加えて、クラシックギターほど演奏が困難な楽器もあまり見当たりません。(ジャラジャラとコードだけ鳴らしているのは全く別の次元ですが)

 右手と左手の動きは全く異なり旋律も和音も同時に弾かねばなりません。日々、修練を重ねても人前で演奏するには相当な技量を問われます。ほぼ同じ大きさのチェロと比べてみても動きが自由なだけに演奏が難しいのです。音楽表現よりもまずミスなく弾き終えることの方が優先と言った感じになりやすい楽器でもあるのです。

 音楽は演奏者も聴衆も幸せを感じるものでなくてはなりません。又、聴いていて退屈してしまうようなものであってはなりません。ギターという楽器にはまだまだ越えなければならないものがあるような気がします。


巨匠、アンドレス・セゴビアの楽器

 古今東西、故人も含めクラシックギタリストと名のつく人は数多くいますが、私をかろうじて満足させてくれるのはアンドレス・セゴビア(故人)だけです。
 彼は多くの名器を選別し録音していますが、やはり傑出しているのはヘルマン・ハウザー1世だと思います。
 この楽器は我が国にも入荷されていますが、セゴビアが使用したものは全く別の楽器と言ってもいいでしょう。ハウザーには違いありませんが、次元の違うハウザーです。ここをしっかりと捉えなくてはなりません。やれタッチだの、爪の形だの、録音の仕方だの色々論じられてはいますが、弦から指が離れた瞬間、最後は楽器しか鳴っていないのです。
 勿論、音楽的感性、奏法なども大きく関係しますがそれが全てではないでしょう。

 セゴビアは民族楽器のギターにクラシック音楽の地位を与えた人ですが、その真価を世に問うためいかに楽器で苦労したかが窺われます。
 演奏者と楽器は背と腹の関係にあります。ギターの真価を世に問うためには、音楽的感性もさることながら絶対的な名器が不可欠の条件となってくるのです。名器無くしては世に出たかどうかも疑問です。彼ほどの名手だからこそ、ギターという楽器を知り尽くし、ギターの欠点も熟知していたように思われてなりません。
 やはり並の人間ではありません。天才です。

 我が国にも何度か来日していますが、一度だけその生演奏に触れることが出来ました。その時の音は今なお耳に残っています。それは小さな音で、しかし耳に届くのはまるでエコーがかかったような豊かな音。
 他のクラシックギタリストとは完全に一線を画した音であったことを述べさせていただきます。このパラドックスにこそ名器の秘密が隠されているのです。


クラシックギターの構造的宿命

 ここでピアノの基本的構造を考えてみましょう。
 弦は1音毎にギターで言うところの開放弦(フレットを押さえない意)の状態で設置され、低音は太くて長く、高音になるに従い細く短くなっています。

 ギターはどうでしょう。
 フレットを押さえる位置により低音弦が高音弦より短くなり演奏にあたってはこのような状態が常に生じます。フレットを押さえるため弦の張力も微妙に変化します。厳密に言えば音程に影響がないとは言えません。おまけにフレットによる音程は平均率です。
 こうした構造から考えると和音で調和し難いのは当たり前のような気もするのです。

 ギターにはこのような負の要因が潜んでいますがそれを感じさせない和音の調和と豊かな倍音を醸し出す楽器こそ真の名器と言えるのではないでしょうか。


一言苦言

 クラシックギター曲で世の中に編曲されたものは五万とあります。どれを使おうと演奏者の自由です。
 しかし、中には首を傾げたくなるものがかなり存在しています。編曲者を呼んで実際に演奏させてみたくなるようなもの(絶対に弾けない)。必要もないのにやたらと和音を多用しているもの(意外と日本人の編曲に多い、どうしてかな?)。

 こうした方々は、ギターの本質、即ち真の名器に秘められた能力とはどのようなものかまだ未知なる世界におられるのかも知れません。
 豊かな倍音を持つ真の名器は1音の中にすべての音を含んでいます。必要最小限の音で満たされるのです。

 こうした意味において、タルレガ(現代ギターの父と言われている)やセゴビアはギターという楽器を熟知していたことがよく窺えます。
 編曲においても最小限必要な音しか使っていません。ここにも名器の秘密が隠されているのです。
 やはりギターは旋律楽器です。和音も弾けますよと考えた方がいいかも知れません。足し算思考より、引き算思考こそ大切なのです。


名器とは

 楽器にはいろいろな種類がありますが、一般的に名器と言われているのはやはりヴァイオリンでしょう。
 イタリアは「ストラディバリウス」と呼ばれるヴァイオリンの名器を生んだ国です。
 その他にも、アマティ、ガルネリウスなど数億円級はざらにあります。

 ここで不思議なことに、凡そ300年の時を経た現在においてさえこれらを越える楽器が出来ないのです。X線で調べれば構造は簡単に解明されるのに。何故なのでしょう。
 ここに疑問を感じることが名器の本質を悟る第一歩でもあるのです。

 科学の進歩は目覚しく月にも行ける時代が来ています。DNA操作でクローンを作ることも可能です。その他数えればきりがないほど我々の常識をはるかに超えるものが出て来ています。
 小脇に抱えられるほど小さく、そして材質は木材です。複雑なメカは何もありません。弦を張り弓で擦るだけ。
 世界中にヴァイオリン製作者は数多くいます。しかし、何故、あのすばらしい音色が出て来ないのでしょうか?・・・。

  <私の分析>
 当時の時代背景ですが、医者が床屋もやり作曲家も演奏を行う。要するに一人が何役もこなしていた時代です。
 このことから察するに、ストラディバリウスなどの楽器職人も若しかして演奏が出来たのではないかと推察されるのです。
 いくら演奏家が名手でも、楽器が鳴らなければどうしようもありません。諺にあるように「笛吹けど踊らず」ではだめなのです。

 肝心なのはこの鳴り方です。音楽的に豊かで心の琴線を震わせる音でなくてはなりません。
 楽器の鳴り方は演奏者にしか解らない微妙なところが多くあります。
 そうした意味合いからも名器を生み出すには高度な製作技術に加え、音楽に要求される精神性の高さ、芸術的感性を体内に融合させておく必要があるように思われるのです。
 果たして、演奏ができない楽器職人がこのような感性を備えることができたでしょうか。どう考えてみても、あのすばらしい音色を生むにはこうした条件が不可欠のように思われてなりません。

 現代は何事も分業化しています。楽器にしても製作者と演奏者は別の人です。
 音は見えないものだけに楽器作りは困難を極めます。手先が器用なだけではとても太刀打ちできるものではありません。名器には神業としか言いようのない高度な技術と論理性が多く隠されているのです。
 X線で構造を調べただけでは解りません。寸法など量は測れますが質は測ることができないのです。
 例えば、形の中に隠されている木の弾力が測れるでしょうか。測るには楽器を分解しなくてはなりません。名器が1台無くなってしまうのです。


 音楽にしろ絵画にしろ、偉大な芸術は二つの意味するものを共有しています。
 宇宙の法則である陰と陽、プラスとマイナス、質と量・・・・・・。
 相反する二つの次元が必要なのです。芸術家は感性の中にどちらも内包させなければなりません。神の域です。


名器の条件とは

 名器の音とはいったいどのような音なのでしょう。口では表現できないようなもの、五感で感じるもの・・・・色々表現の仕方はあると思いますが、私としては次の3点を一応の目安として捉えています。どれひとつ欠けても真の名器にはならないでしょう。

  ・豊かな倍音
  ・和音の調和
  ・感触の良さ

  <豊かな倍音について>
 例えば一音を出す。すると他の音が微妙な反応を示す。調が転調すればそれに応じた響きを醸し出す。
 要するにそれぞれの1音の中にすべての音を感じることが出来る響き。そして、わずかなタッチの変化により音色が無限に変化すること。
 倍音効果を求めるために10弦ギターなど6本以上の弦を持つものもありますが、弦に倍音効果を求めるのではなくギターの胴体そのものが倍音を出さなければ意味がありません。
 単なる弦の共振だけに終わるものであってはならないのです。これは本当の意味で倍音とは言いません。
 また、豊かな倍音は重い楽器からは決して生まれません。重い楽器からは実音ばかりが先走ります。実音は弦が振動する音であり、胴体が共鳴する音とは異質なものであることを理解しておく必要があります。惑わされないよう要注意です。
 セゴビアが生涯に渡り6弦ギターを愛用したのも頷けます。真の名器とはそのようなものなのです。

  <和音の調和について>
 お互いの音が調和し暖かさを醸し出すような響きとなること。言い換えるならば和声の香りを感じるような響きとなること。
 相当な名器でも音程は正確なのに、和音になるとお互いの音が背を向け合ってしまうものが多いようです。不思議な現象です。

  <感触の良さについて>
 音質は言うまでもなく、手触りの良さ、形の美しさ、重量のバランス、弦の張力など感じるもののすべてが感触として満たされなければなりません。
 性能の良し悪しは全て感触として現れます


求められるものは何か・・・

 真の名器とは五感の全てが満たされ、演奏者の能力を極限まで高めてくれる楽器ということになります。
 人の心を捉えるにはこのような鳴り方をする楽器が不可欠なのです。ただ美音が出ればいいと言うものではありません。

 名器からは、製作者の精神の音を聴くことができるのです。もし、精神というものに音があるなら、まさにこの音であると思わせるような・・・。

 ストラディバリウスに匹敵するクラシックギター。これさえあればギターファンは確実に増えるでしょう。これこそ豊かで幸せを感じる音だから。これが一番大切なことなのです。


名器の誕生!クライナー・バッハ

 果たして、この世の中にストラディバリウスに匹敵するクラシックギターは存在するのでしょうか。夢のような話です。
 セゴビア亡き後、彼の楽器を越えるものは私の知る限りにおいては現れていません。いや、正確には現れなかったと言った方がいいでしょう。
 しかし、神は新たな人にその使命を託していました。それは鋼のように強く水のように柔軟な精神を湛えた一人の芸術家の手から生み出されました。
 ギターの銘は『クライナー・バッハ

 製作者の名前は小川政博(岡山市在住)。音楽家でもありクラシックギタリスト。<私の分析>で述べた名器の誕生に必要なあらゆる条件を満たしている人です。
 ひたすら芸術に身を捧げ、数十年にわたり探求してきた真実が魂の結晶となってギターに宿りました。
 年に数本しか製作されません。
 ちなみに表面板の厚さは1.5ミリ以下です。おそらくこの厚さを保持しているクラシックギターは世界でも類がないでしょう。
 構造的にも超絶的な技術が要求されます。まさに奇跡のギターとしか言いようがありません。

 今は亡きスペインの巨匠、ホセ・ルイス・ゴンザレスもその音に魅了された一人です。
 この楽器に対する賛辞を認め自国に持ち帰りました。
 手にするや、「マイ ギター! マイ ギター!」と何度も叫んでいたことを今でも思い出します。

 ストラディバリウスに匹敵するクラシックギター。歴史に残るギター。そして、ギター界の新たな発展につながる1ページであることを確信してやみません。

  <クライナー・バッハ>
 『クライナー・バッハ』とはどのようなギターなのでしょう。その感触について少しだけ触れてみたいと思います。
 音質については言葉で言い表すことは出来ませんが、敢えて言うならば、天女の羽衣が舞うような優雅な音・・・とでも申しましょうか、とにかく魅力的と言うほか言葉はありません。
 現存する名器からは決して聞くことの出来ない音であることは確かです。

 まず、弾弦後は瞬時に音が立ち上がり弦の揺れを殆ど感じません。実音を発した後、ぴたりと静止し倍音に移行していきます。
 そのため、左手はフレットを押さえ付けておく必要は無く殆ど浮かせた状態を保つことが出来ます。押弦にあたっても弦の上に左手を乗せるといった感覚でいいでしょう。弦の張力が絶妙なバランスの上に成り立っている証拠なのです。
 又、豊かな倍音のため音域も広く感じられ音程も高い位置に留まるため、他楽器や声楽との共演においてもギターならではのすばらしい魅力が発揮されます。
 特にソプラノはギターの苦手とする♭系の曲が多く暗い響きになり易いのですがこれも全く問題はありません。声量に押されギターの音が隠れるようなことも皆無です。
 声の間を縫って音は前に伝わって行くのです。
 クライナー・バッハのおかげで声楽(ソプラノ)からも多くを学ぶことが出来ました。(掲載写真参照)


クラシックギター界の発展に寄せて

 名器を演奏することにより、音楽は一段と高みに昇華します。楽器が、自分の能力を開発してくれるのです。
 楽器の鳴り方に身を任せていれば楽器が音楽を語ってくれます。これこそが名器の持つ途轍もなく高い能力なのです。

 演奏者は何よりも名器を持つことに尽きるのです。何を隠そう、セゴビアの本当の秘密は楽器にあったのです。セゴビアはこの秘密を世間には決して漏らしませんでした。
 ギター1本でその真価を世に問わなければならないのです。他にもライバルは多くいたでしょう。考えてみれば当たり前のことです。マジシャンが種を明かして回るでしょうか。絶対的なカリスマ性。セゴビアの賢さは超一流です。

 演奏技術もさることながら現在のクラシックギタリストたちが「クライナー・バッハ」を使いこなすならば、セゴビアを越えることは十分可能なはずです。何故ならば楽器の潜在能力は既にセゴビアのハウザーを越えているからです。後は演奏者の責任です。聴衆は誰しもクラシックギターの魅力に取り付かれるでしょう。
 クラシックギターはそのような高い資質を秘めたすばらしい楽器なのです。言えることは、ストラディバリウスに匹敵するクラシックギターが無かったこと。ただ、それだけです。

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